2013年8月31日土曜日

[Day 122] Here There And Everywhere


熱帯雨林の生態系を展示した水槽のようだ。

三角ビルの壁の一辺がなくなった。狙った演出ではなく、安全を優先した結果、今にも崩れるとのことで壁が解体された。くり抜かれた壁は、遠目から見ると巨大な水槽に見える。





もう少しすると新規の壁が作られるため、今しか見れない光景。"オープンカフェだ"と言って軽いノリでこのまま残そうという冗談が現場では流れる。見える景色は隣の敷地の石垣。そうなったら、道路に面さないオープンカフェは世界でここだけかもしれない。

古くなったガス管が交換され建物に引き込みが完了し、建物に少しずつライフラインが入り込んで来ている。このガス管が錆びて使い物にならない状況も、外構部分をユンボで壊してみないと分からないことだった。古い建物に似合わない最新の配管が次々と施されていく。


建物内では防火区間などレイアウト通りに仕切りが入っていく。大きな解体ばかりが続いた物件がやっと細部を突き詰めて考えないとならない段階になってきた。実寸が測れる状況になり、完成形のイメージが想像し易くなったため、実際に歩いてブツブツとイメージを湧かしている日々になった。








物をここに置いたりと想像する段階になった嬉しさより安堵の気持ちの方が今は強い。ついに物件も大きく化ける手前の段階まで来たように感じられる。道のりも半分くらいまで来たかな。



2013年8月27日火曜日

[Day 119] Report From Iron Mountain


水道屋、ガス屋、電気屋など、二期工事で多くの業者が入れ替わり作業をしていく。縦割りの日本式な考えのせいなのか、業者と話すと「ここは何になるのですか?」と平気で聞いてくる。何になるか分からないものをただ図面と現場監督の指示で仕事していく、その環境が自分には少し異常に思えた。

彼らとしては数日の仕事だけど、こちらとしては数十年単位で事を考えるレベルの話。施工主の意図や好みを反映して頂かないととても困る。良かれと思い独断で行ったことが本当に大きなダメージになるのはもう嫌だ。何もそれはツタだけの話ではない。



自分が出来ることは、なるべく顔が見える関係の範囲を広くし、互いの共通点を増やすことしか思いつかなかった。本当の意味で"仲良く"なりたいと思い、第三期工事、店舗工事を受けてくれるアトリエセツナさんに会いに山形まで向かった。







東北に何かと縁がある人生だと思っていたけど、山形に来るのは初めてだった。四方を山で囲まれ、その山がレイヤーのように重なって見える景色は甲府と似ているようにも感じた。自然に対する畏怖を感じる場所、この都会との距離感がとても心地良い。







アトリエセツナさんとトコトン話し合いをして、アイディアとイメージを共有する。お酒を片手に好きな音楽だったり冗談を交えた他愛のない会話ですら、自分がしたかった事のひとつ。本当は東京の今関わっている職人さんも一度は呑みながら語り合いをすれば、結果はもっと良くなったんだろうなと思ってしまう。



山形で今回のプロジェクトで関わる方達にお会い出来たのも嬉しかった。例えば、椅子の足のアイアン。アイアンの溶接などをやっている方に実際に会い、働く場所を見させてもらうだけで、こちらは思いが単純に強まる。その積み重ねがより良い物に変化するはず。


何より一番嬉しかったのは今回のプロジェクトで関わる方が自分とさほど年齢が変わらないこと。一つ何かキーワードを出すだけで話が広がっていく。相手の好きな物が分かって初めて本当に届けたい物が提供できるようになるともう一度信じたくなった。







とても充実した三日間でした。山形でお会いした方、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。蕎麦と日本酒が美味しいだけでこの場所を愛せると思いました。


また行きます。







2013年8月20日火曜日

[Day 112] Trouble


ツタが絡まった建物と紹介してきた三角ビル。
悲しいことに現在行われている二期工事で覆っていたツタ全てが枯れてしまった。




理由は簡単。解体工事の際に、ツタを根元から業者が切ってしまったからだ。地面から養分がいかなくなったツタは、一足早く冬を迎えたように簡単に枯れた。隣の敷地のツタが青々と繁る中、悲しいギャップが生まれ痛々しかった。


自分にも落ち度がある。解体の時にツタの幹がそこにあることは知っていた。ただ、自分の中で、母校から譲り受けたツタをこれから植えることが決まっている。現在覆っているツタと二種類混同して覆わせて良いのかと悩んでしまい、職人に念を押す確認を怠った。







建築家や業者は最初からこのツタを切りたがっていたのは分かっていた。もう一度、配管を壁など通す時に邪魔になるし、何よりツタは直接外壁に生やすとコンクリートの中に根を伸ばしてしまい、コンクリート壁を傷つける。もしツタで覆うならネットフェンスかピアノ線を格子状に張ってその上を這わせるのが一番良いやり方と教えてくれた。


実際、この後の工程のためにどうしてもツタを切らなければならないなら、しょうがないと思った。ただ、「何故切ってしまったのですか?」と現場監督に聞いたら、切ったことすら気づいてなかった。確認をしたら、壁を壊した時にツタの本線も切ってしまったのこと。


あの時に念を押しておけば良かったと激しく後悔してしまった。「ここにツタの本線がありますよ」っと、「このツタを生かした建物にしたいので切らないでくださいね」っと。枯れたツタが絡まった三角ビルはまたもや廃墟に見えてきた。


週末、窓から手が届く限りツタを切って剝がす作業をした。切った直後のまだ葉が青々としている時に剝がす作業が出来ればまだ良かったが、今や幹を引っ張る度に葉がボロボロと落ちる。落ちた葉は風に乗り遠くまで散乱していく。これは大変なことになってしまった。






結局、現場で素人の自分が口を出すのはどうかと躊躇したのが原因の一つ。そして、プロと素人で敷居があると思い込み、本音を語り合う過程を飛ばしたツケでもある。現場監督には枯れたツタを最善を尽くしてなるべく除去をしてくださいと伝えた。向こうもミスと思ってくれて、いくつかの案を考えると言ってくれた。あるんだったら見せて欲しいです。職人魂。



建物はこのツタの件を持って本当に0からのスタートに。有る物を"生かし"て再生させるリノベーションではなくなってしまった。ツタは結局、母校から分けて貰ったツタを自前で生やすしかない。切られた幹は500mlのペットボトルぐらいの太さになっていた。一体そこまで育つのに何年かかるのだろうか。







2013年8月12日月曜日

[Day 104] Is It A Crime


またもや解体した破片が部屋に散乱するようになってしまった。


もう見慣れたと言っても良いかもしれない。当たり前のように、現場に置いていた荷物は粉塵まみれになっている。しかし前回に比べ、汚れたものは後で拭けばいいや、と簡単に受け入れられるようになった。







解体の際に空いたダクトスペースの大きな穴が埋まろうとしている。今後のレイアウトを考えると簡単に埋めるだけでは強度が心配。鉄筋を入れていれて補強してもらう。地下に陽が差さなくなったため、あの鉱山遺跡のような雰囲気が少しなくなった。陽が入る事を気にいっていたため残念でもある。







階段から部屋へのアプローチも、脇に残っていたブロックを解体したため、かつてない開放感になっている。この開放感を残しておきたかったけど、防火区画のためにまた仕切り直すことが決まっている。この防火の概念にかなりの時間とお金とデザインを取られた気がする。しかし、全ては万が一の事に備えて。本当に万に一つのことが起きた時に責任を取るのは自分。ここからは常にそういうこと。そう自分に言い聞かせて、納得するしかない。







機会があれば安全とデザインのバランスについて、色んな建築家やデザイナーに考えを聞いてみたい。分かり切っている事なのに、まだ納得出来てないみたいだ、自分。

もしかして、「安全の上にデザインがある」と当たり前の顔して言い切られたりするのかな。





2013年8月8日木曜日

[Day 100] Re:Start


職人さんが慌ただしく動いている。

当初より一ヶ月半の遅れで二期工事がついに始まった。まずは現場に仮設ながら電気を配備された。朝方、電気技師さんが来て、仮設の配電盤を設置。そして、東京電力の担当者が元々あったメーターを接続し直す。小一時間で電気が来た。

これにより契約して依頼、初めて発電機以外の電気が建物に入る。解体の時にもお世話になった現場監督に「ついに文明の光が入りましたね」と言われてしまう。しかし、いくら仮設だからって壁紙のサンプルポスターの上に設置するのはどうなんでしょう。







外構部分も裏手ながら大きく変わろうとしている。ダンプに乗せられてユンボが運ばれてくる。やはり、重機はいくつになっても男心をくすぐられてしまう。

暗い裏手にあった余分な花壇を撤去。じつはこの花壇に使われているレンガがいい味を出していて再利用をしたかったけど、セメントがくっ付いているため綺麗に剥がすことは難しく処分に。こういうのを例のテレビの匠なら使うんだろうなと思ってしまう。





解体される花壇に埋まっている水道メーターなどを一度掘り起こし、次の動きがし易い場所に配置を変える。地味ながら、この配管のし直しが後々大きく響いてくる。そう、この二期工事は前回の第一期の解体工事に比べ変化は少ないながら、大切な下地になる部分が多い。

水が出たり、電気がついたり。
人が当たり前に快適に過ごすための前段階は意外に長い。